なぜお客さんは、飲まないシャンパンを入れるのか?

キャバクラでシャンパンを開けるお客様とキャスト、黒服。お客様本人はあまり飲まず、場の空気や特別な時間を楽しんでいる様子。 人間観察学

お客様がシャンパンを入れてくれる。

それ自体は、夜の店では珍しいことではない。

女の子と一緒に飲む時間を楽しみたい。
席を盛り上げたい。
特別な夜にしたい。

そういう気持ちでシャンパンを入れてくれるお客様は多い。

だから、お店で飲むシャンパンが高いことも、お客様はわかった上で入れてくれている。

そこには、女の子と過ごす時間や、店の空気や、その場の楽しさが含まれている。

ここまでは、とても分かりやすい。


でも、夜の現場には、もう少し不思議な光景もある。

シャンパンを入れたのに、お客様本人はほとんど飲まないことがある。

キャストが飲む。

時には黒服が飲むこともある。

飲みきれなければ、飲めるスタッフが集まって、みんなで空けることもある。

それでも、お客様は楽しそうにしている。

この光景も、キャバクラではよく見る光景だ。


でも、少し冷静に考えると面白い。

そのお客様は、一体何にお金を払っているのだろうか。

シャンパンを飲みたいだけなら、本人がもっと飲めばいい。

でも実際には、自分はほとんど飲まず、女の子が喜んだり、席が明るくなったり、周りが盛り上がったりするのを見て満足しているお客様もいる。

もちろん、一番大きいのは、指名しているキャストに売上をつけてあげたいという気持ちだと思う。

応援したい。
喜ばせたい。
その子の力になりたい。
自分の影響力を示したい。

そういう気持ちがあるから、お客様はシャンパンを入れてくれる。

でも、それだけではない。

その場の空気。
女の子の反応。
周りから少し特別に見られる感覚。
「今日は楽しかったな」と思える時間。
そして、普段とは少し違う自分でいられる感覚。

そういう目に見えないものにも、お客様はお金を払っているのだと思う。

お酒を売っているようで、本当に売っているのはお酒だけではない。

その席で生まれる感情や、空気や、記憶まで含めて、お客様はお金を使っている。

だから、本人がシャンパンをほとんど飲まなくても成立する。

むしろ、飲まないからこそ分かりやすい。
お客様が本当に欲しかったものは、シャンパンそのものだけではないのである。


人は、モノだけにお金を払っているわけではない

これは、キャバクラだけの話ではないと思う。

人は普段から、モノやサービスそのものだけにお金を払っているわけではない。

たとえば旅行に行くときもそうだ。

飛行機に乗る。
ホテルに泊まる。
美味しいものを食べる。
観光地に行く。

表面だけ見れば、移動や宿泊や食事にお金を払っているように見える。

でも本当に欲しいのは、それだけではないはずだ。

日常から少し離れる感覚だったり、知らない場所に行くワクワクだったり、大切な人と過ごす思い出だったりする。

帰ってきたあとに、「楽しかったな」と思える時間まで含めて、人は旅行にお金を払っている。

ライブやスポーツ観戦も同じだと思う。

音楽を聴くだけなら、今はスマホでいくらでも聴ける。

試合の結果を知るだけなら、ニュースや速報を見ればいい。

それでも人は、わざわざ会場に行く。

チケットを買い、時間を使い、時には遠くまで移動する。

それは、その場にいることでしか味わえない感情があるからだと思う。

会場の熱気。

周りの人と一緒に盛り上がる感覚。

目の前で起きているものを、自分も一緒に体験している感じ。

そういうものに、人はお金を払っている。

ブランド品も似ている。

バッグとして使うだけなら、もっと安いものでも十分かもしれない。
時計も、時間を見るだけならスマホで足りる。

それでも人は、高いバッグや時計にお金を払うことがある。
それは、機能だけでは説明できない価値があるからだと思う。

持ったときに少し気分が上がる。
自分に自信が持てる。
大切に扱われているような気がする。
少しだけ、なりたい自分に近づいたように感じる。

人はモノを買っているようで、そのモノを通して得られる感情にもお金を払っている。

だから、お金の使い方は面白い。

同じ商品でも、人によって買っているものが違う。

ある人は便利さを買っている。
ある人は安心を買っている。
ある人は見栄を買っている。
ある人は思い出を買っている。
ある人は未来への期待を買っている。
そして、ある人は誰かを応援する気持ちにお金を使っている。

表面だけ見ると、ただの買い物に見える。でもその奥には、その人が欲しがっている感情や、込めている意味が隠れている。


人はドリルが欲しいのではない

マーケティングの世界には、よく知られている話があるそうだ。

「人はドリルが欲しいのではない。穴が欲しいのだ」
という話。

ドリルを買う人は、ドリルそのものを眺めたいわけではない。
壁に穴を開けたい。
棚を取り付けたい。
何かを作りたい。
そのためにドリルを買っている。

つまり人は、商品そのものではなく、その先にある目的のためにお金を払っている。

これはとても分かりやすい考え方だと思う。

たとえば、傘を買う人は傘そのものが欲しいというより雨に濡れたくない。
タクシーに乗る人は、車に乗りたいというより早く楽に目的地へ着きたい。美容院に行く人は、髪を切ることだけが目的ではなく、気分を変えたい、
自信を持ちたい、誰かに良く見られたいという気持ちもある。

表面だけ見れば、人は商品やサービスを買っている。

でも実際には、その先にある目的や変化を買っている。


本当に欲しいのは、穴の先にある感情

人はドリルが欲しいのではなく、穴が欲しい。

この考え方は、とても分かりやすい。

でも、少し先まで考えてみよう。

本当に欲しいのは、穴なのだろうか。

たしかに、最初の目的は穴を開けることかもしれない。

でも、その穴は、棚を取り付けるために必要なのかもしれない。
棚を付けて、部屋を片付けたいのかもしれない。
部屋が整って、気持ちよく暮らしたいのかもしれない。
家族に喜ばれたいのかもしれない。

そう考えると、人が本当に欲しがっているものは、穴そのものではなく、その先にある暮らしや気分なのだと思う。


お金の使い方には、その人が出る

そう考えると、お金の使い方には、その人が出ると思う。

何にお金を使うかは、その人が何を大切にしているかに近い。

本にお金を使う人は、知識だけではなく、成長している実感を買っているのかもしれない。

ジムにお金を使う人は、筋肉だけではなく、自分を変えている感覚や、健康への安心を買っているのかもしれない。

子どもの教育にお金を使う人は、授業料だけではなく、子どもの未来への期待や、親としての安心を買っているのかもしれない。

もちろん、お金の使い方には消費もあれば、浪費もある。投資もある。

でも、その境界線は意外と曖昧だ。

ある人にとっては無駄遣いに見えるものが、別の人にとっては心を支える大切な時間かもしれない。

ある人にとってはただの趣味でも、別の人にとっては明日を頑張る理由になっているかもしれない。

だから、お金の使い方を簡単に良い悪いで決めつけることはできない。

大事なのは、

自分は何を得たくて、そのお金を使っているのか。

そのお金を使うことで、どんな気持ちになりたいのか。

そこを考えることだと思う。

お金は、ただモノやサービスと交換するためだけのものではない。

何にお金を使うかは、何を大切にして生きているかでもある。

そう考えると、自分のお金の使い方も少し違って見えてくるのではないだろうか。

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